このエントリ、いつアップできるんでしょうね…。ナムチェで2000ルピー分つっこんだSIMカードですが、その後ほとんど圏外だったので使えておらず、今日(27日)ようやくアンテナが建ってるゴラクシェプとカラ・パタールで通信していたら、もう使えなくなりました。ダイヤルアップ的な通話時間での計算ではなく、データ通信量の従量制なのか? Ustreamなんかしてたから速攻でなくなったのかもしれません。と、思って翌日再び2000ルピー分チャージしたら、都合4000ルピー分もあるというではないですか。なんなの? ネットワークの調子が悪かっただけなの? それとも通話とデータ通信とではチャージが別なの?
ところで写真は、いよいよ今回の旅のメインイベントとなるエベレスト・ビュー・ポイント、カラ・パタールの丘からの景色です。真ん中の黒い岩山がエベっさんですよ。ミニくまちゃんのチロリアンハットの羽根がものすごい風で飛んでしまいそうですが、実際この後1本なくなりました。旅先でのなくし物はとても寂しい気持ちになるので、細心の注意を払っていますが、今回すでに耳当てとサングラスをなくしかけてます。

カラ・パタールの丘は風が強く寒いのでずっとはいられないのですが、なぜか頂上の尖った先端の方に行くと岩のくぼみがあり風がよけられるので、ずっとそこでうずくまって昼寝していたかった。ただ、すぐ隣が断崖絶壁なんですけどね…。

2枚目の写真はライブドアブログアプリの設計上、後から追加することになりますが、夕方再びジョシュとカラ・パタールの中腹まで登って見に行った、夕日に染まるエベレストです。午後から天気が崩れやすいクンブ地方にしては風も雲もなく、とてもラッキーでした。

かれこれカラ・パタールに1回半登った27日でしたが、さらにロブチェからゴラクシェプまで自分の荷物を担いで来てるので、本当に体力的に疲れました。

明日は荷物を宿に置いてエベレストベースキャンプを見てから、再び自分で荷物を担いでロブチェに戻り、へっぽこポーターの体調をうかがいます。本来であればコンマ峠越えがあるのですが、さすがに自分の荷物を担いでは無理なのは、今日の2時間の行程でわかりました。

サンタさん(ジョシュのポーター)はそれでも、「じゃあ、ボンさん(ぼくのポーター)にはディンボチェまわりでチュクンまで来てもらって、君は軽い荷物で峠を越えればいいじゃないか」とナイスアイデアを提供してくれて、この人には旅の終わりにチップをはずまないといけないなと考えております。

ただ、問題はまだまだあってですね…。もうボンさんの手持ちの金、つまりぼくの飲食代・宿代が底を尽きかけているというのですよ(サンタ談)。ええー、本来の旅程の3分の2も終わってないのに!

本人は代理店から15日間で2万8000ルピーしかもらっていないらしく、サンタさんいわく「少ない」と。実際は14泊15日なので1泊2000ルピーの予算だと思えば、そうなのかなと感じなのですが、すでになくなりかけているということは、まさかボンさんの経費まで入っているのかすら?

よく考えたらおかしな点がいろいろあるんです。当初からチョラ峠を越えるつもりだったのに、サンタさんいわく「彼は初めてっぽい」と言うし、代理店の日本語を操るおっさんいわく「ボンさんは衛生携帯電話も持ってるから安心してください」と言うわりにはそんなもん持ってる様子もないし。

このまま飲食代と宿代を立て替えるのはやぶさかではないのですが、代理店が難癖つけて支払いに応じないのが目に見えてて、すげーウツっす。病むっすー。

とりあえず自分の荷物を担いで下山(といいつつ登りもいっぱいある)したくないので、ボンさんの全快を祈っておやすみなさいませ。

【それから】

翌日28日は、ゴラクシェプに荷物を置いて、エベレストベースキャンプまで行きました。さほどきつい登りもなさそうだし、近いんだろうなと思っていたら、そこそこアップダウンはあるし、たっぷり2時間はかかるしで、なかなか骨のある道程でした。

そもそもEBCは、サンタさんが「エベレストも見れないし、そんなに面白い場所でもないよ」といかにもパスしたがってたのですが、スペイン語まで操れるジョシュのお陰で、キャンプしていたスペイン隊にコーヒーとキットカットまでお呼ばれして、なかなか得難い経験をいたしました。

ちなみにその前には日本隊がいたそうです。

その後、再びゴラクシェプまで戻り、そこからまたもや自分の荷物を担いでロブチェまで帰らなくてはいけないのですが、パッキングを完璧にして、足取りの速いサンタ&ジョシュには気にせず先に行ってもらうことで、終始マイペースでゆっくり歩くことができ、「これは最悪ボンさんがリタイアしてもコンマ峠を越えられるかも」と思った次第です。

その道中、とあるイタリア人に出会いました。彼はイタリアが作った高度気象観測所「ピラミッド」を探しているらしく道に迷っていたのですが、なんとなく目星がついていたぼくは「こっちじゃね?」と一緒に寄り道することにしました。実はぼくも興味があったのです。

彼は以前厚木で働いていたこともあり、けっこう日本語が話せる上、ピラミッドで対応してくれたネパール人の管理人も日本語を勉強したことがあるとのことで、終始会話が日本語だらけ。たまたま居合わせた見学者のアメリカ人やフランス人には気の毒なことをしました。

ともあれ、ピラミッドで一番気に入ったのはフリーのWi-Fiが飛んでることです。なのでここぞとばかりにネットをしまくりたかったのですが、どんどん天候が悪化し寒くなってきた上に、イタリア人の彼エマの宿の夕食時間が迫っていたので、慌ててロブチェまで帰りました。

そしたら。

そしたら、ぼくのポーターがいなくなってた! 書き置きも残さずに。