2011年10月28日金曜日。エベレスト街道最後の町ゴラクシェプから、街道もうひとつの終点、エベレストベースキャンプ(B.C.)へ往復プチハイクする日です。プチハイクといっても標高5200mあたりをウロウロする苦しい道のり。B.C.見学後は宿に戻り、さらに我がポーターが療養しているロブチェまで戻ります。
当然ですが、窓が凍っています。
日本から持っていったファンケルの青汁もパンパン。
朝食はハムチーズサンドイッチ。
では、エベレストB.C.へ。サンタがちょっと道を間違えて引き戻す。
サンタはしきりに「B.C.はつまんないよー」と行きたがらなかったんだよな。
クンブ氷河沿いに遡上する谷道ですが、エベレストもチラ見えします。
ただ、B.C.まで行っちゃうと逆にエベレストは見えなくなります。
ヒマラヤネズミ的なクリーチャー。
時おり小さな氷河池のそばを通って、1時間半。
池の上を歩いてみたいなんて思ったりもしながら。
エベレストB.C.という石標のある記念撮影スポットに到着。
ロブチェからの3人パーティー。
大きな荷物は宿に置いて来たので楽は楽。呼吸は苦しい。
しかしこの撮影スポットは観光客を足止めさせるトラップでして。
実はテント村まで行けるのです。あれローツェだっけか。
B.C.の残飯を狙うカラスたち。
撮影スポットから15分ていど。スペイン隊のテント村に到着。
一応、B.C.の手前には関係者以外立ち入り禁止って書いてたけどサンタ憶せず。
ジョシュがスペイン語も話せるので、スタッフとコミュニケーションが取れる。
「お茶飲んでく?」とコーヒーいただいてしまいました。
さらにキットカットまで! 登頂に失敗して撤退するからか、余裕があったのやも。
さて、帰りましょう。
だんだん雲行きがあやしくなってきました。昨日晴れて良かった。
どこかに飛んで行く鳥。
ゴラクシェプでSIMチャージしたり、ランチしたりしてロブチェへ。
重い荷物があるのでサンタとジョシュには先に行ってもらう。
しかし、ガンガン冷えて参りますな。アマ・ダブラム方面。
道中、イタリア人のエマニュエルと知り合い、一緒に街道外れのピラミッドに行く。
各国が出資してヒマラヤの天候をモニターし続ける施設。なんと無料Wi-Fiが飛んでる。
日没タイミングでなんとかロブチェに投宿でき、夜は油ギトギト焼きそば。
宿で知り合ったアラフォーの旅人ミナコさんと、エマニュエルに会いに行くも宿にはおらず、そこにいた元山一証券マンのシノハラさんとパチる。
ちなみにエマニュエルはかつて厚木に住んでいたこともある、日本語ペラペラのイタリア人で、現在は帰国してIT関連の会社をやっているそうです。おにぎりが大好きらしく、Twitterの @onigiri というアカウントは日本人ではなくイタリア人、つまり彼に取られてしまっています。
以上。
あ、そうそう、肝心なことを書き忘れてますが、ロブチェの宿に帰ったら、なんと我がポーターが失踪してたんですよ。書き置きもせずに。カラ・パタールとエベレストB.C.で旅の最終目的地に辿り着いたとはいえ、翌日以降もまだまだ旅は続くわけでして、比較的楽ちんなロブチェ〜ゴラクシェプ往復と違い、明日は早朝に起きて最後の峠越えですからね。キツそう…。
つづく。
「エベレスト街道トレッキング」のインデックス
・エベレスト街道トレッキング1日目 ルクラ〜パクディン
・エベレスト街道トレッキング2日目 街道最大の町ナムチェへ
・エベレスト街道トレッキング3日目 エベレストビューホテルへの遠足
・エベレスト街道トレッキング4日目 ターメ
・エベレスト街道トレッキング5日目 荒野のルンデン
・エベレスト街道トレッキング6日目 レンジョ峠からの初エベレスト
・エベレスト街道トレッキング7日目 早朝ゴーキョ登山とゴジュンバ氷河越え
・エベレスト街道トレッキング8日目 雪のチョ峠を越えてアマ・ダブラム
・エベレスト街道トレッキング9日目 カラ・パタールの丘
・エベレスト街道トレッキング10日目 エベレストベースキャンプとポーターの失踪
・エベレスト街道トレッキング11日目 最後の峠コンマ・ラ
・エベレスト街道トレッキング12日目 ふたつのチュクンとヒマラヤのパン屋さん
・エベレスト街道トレッキング13日目 最後のエベレストとポーターの全滅
・エベレスト街道トレッキング14日目 くまじゅんクムジュン
・エベレスト街道トレッキング15日目 突然のさようなら
・エベレスト街道トレッキング16日目 ルクラ待機
・エベレスト街道トレッキング17日目 決断
・エベレスト街道トレッキング18日目 昼飯はコーラ(常温)
・エベレスト街道トレッキング19日目 もっともタフな1日
・エベレスト街道トレッキング最終日 シヴァラヤで旅終わる