今夜は、トルコ大使館やトルコ航空などの要人が愛用する、東銀座のトルコ料理レストラン『SARAY 銀座店』で会食してきました。3年前にトルコ旅行に出かけて以来、久しぶりのトルコ料理です。トップ写真はベリーダンサーのお姉さんと、ミニくまちゃんのツーショットですが、本来の目的はこれではありません。
日土親善の礎を築いた山田寅次郎、の曾孫
旧シネパトスの裏手にある『SARAY』。加山雄三のあれではなく「宮殿」のそれ。
ずらりと並んだ前菜の数々。相変わらずパンと豆のディップ(フムス)がウマー。
本日は知人の山田さんを、トルコ航空のジェム・アルデミルさんにご紹介するのが主旨。
「山田」と聞いてピンと来る方は来ると思うのですが、というか小見出しにも書いてあるのですが、山田さんは、日本とトルコの友好の橋渡しをおこなった山田寅次郎(山田宗有)の直系の曾孫にあたる方なのです。
なぜトルコが親日国となったかは、和歌山県沖でオスマン帝国の軍艦エルトゥールル号が遭難した事件に由来するのですが、話が長くなるので詳しくはWikipediaをご覧ください。
・エルトゥールル号遭難事件 - Wikipedia
エルトゥールル号遭難事件(エルトゥールルごうそうなんじけん)とは、1890年(明治23年)9月16日夜半、オスマン帝国(その一部は現在のトルコ)の軍艦エルトゥールル(Ertuğrul Fırkateyni)が、現在の和歌山県串本町沖にある、紀伊大島の樫野埼東方海上で遭難し500名以上の犠牲者を出した事件である。この事件は、日本とトルコの友好関係の始まりと考えられている。
・山田宗有 - Wikipedia
山田 宗有(やまだ そうゆう、慶応2年(1866年)8月 - 昭和32年(1957年)2月13日)は、実業家、茶人。茶道宗徧流の第8世家元であるが、家元継承以前の山田 寅次郎(やまだとらじろう)の名で実業界でも活躍した。また寅次郎の名は、明治25年(1892年)に初めてオスマン帝国(現・トルコ)の首都・イスタンブルに渡って以来、大正3年(1914年)までの間のほとんどの期間をイスタンブルに滞在して貿易と民間交流に努め、日本とトルコの友好親善の礎を築いた人物としてもきわめて有名である。
ともあれ、トルコの歴史の教科書に名前が載っているような偉人です。
とりあえず世界三大料理のトルコ料理を食おうぜ
パン生地に包んだケバブはヨーグルトにあいます。ヨーグルトの発祥はトルコだそう。
魚の干物みたいなピザは生地のゴマがおいしい。実はピザの起源もトルコだとか。
食後はライスプリンとアップルティー。ティーは懐かしい味。
さすがトルコのV.I.P.が利用するお店とあってか、味はハイクオリティで洗練されております。しかも…。
ベリーダンスショー付き!
ミニくまちゃん(本人)も一緒に踊りましたよ。
ショーの後、お姉さんに無理言って記念撮影してもらいました。そっぽ向くな。
はー、ごちそうさまでした。トルコ航空の模型が置いてますね。また行きたいなー。
ちなみに現在、残念ながら山田家とトルコ政府の交流はなくなっているそうで、これを機会に再び親交を深めましょうというわけで、近日にも山田家と在日トルコ大使との面会が実現する運びとなりました。すごーい。「トルコ大使館はうちの近所なんで、記録係として呼んでくれてもいいんですよ」とひと言添えておきましたので、うまく行けば続報がこのブログで報じられるかと思います。
店長にKUMAYAMA.comを見せれば、ドリンク1杯無料
さらに、『SARAY銀座店』の店長から嬉しいお知らせが。このブログ記事を見せれば「ドリンク1杯無料にします!」との言質をいただきましたので、ぜひみなさんご活用ください。というか、1人も来なかったら恥ずかしいなー。
関連リンク
・トルコ航空
・SARAY 銀座店 サライ - 東銀座/トルコ料理 [食べログ]