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土曜のことになりますが、ヒラタオフィスさんのご厚意で『月刊サイゾー 2014年3月号』で取材させていただいた、松岡茉優さんの舞台『幽霊』をBunkamuraシアターコクーンで観てきました。実はシアターコクーンは初めてで、ハードコアな近代演劇を観るのも初めて。しかも2時間10分休憩なしです。完全なアウェイ環境の上、後で楽屋挨拶というイベントも待ち構えているらしいので、これは真剣に観なあかんなあと覚悟いたしました。

『幽霊』


『幽霊』は“近代演劇の父”とも呼ばれるイプセンの代表作ながら、『人形の家』に比べると知名度が低く、日本ではあまり演じられることがない作品なのだそうです。そんなマイナーな作品をあえて取りあげるのは、2013年上半期の読売演劇大賞を受賞した若手の演出家・森新太郎。

主人公のアルヴィング夫人に元宝塚の安蘭けい。その息子オスヴァルに忍成修吾。牧師のマンデルスに吉見一豊。大工のエングストランに阿藤快。そしてお手伝いのレギーネに松岡茉優という総勢5名のコンパクトなキャストです。

舞台は、1年中ほとんど太陽の光が射し込まない、ノルウェイ西部のフィヨルドを臨む旧家ヘレーネ邸。いつもはアルヴィング夫人と小間使いレギーネだけの暮らしに、パリから一人息子オスヴァルが帰省していて夫人はウッキウキ。にわかに屋敷が活気づいているのは、故アルヴィング大尉の遺産で建てられた孤児院の落成式を明日にひかえているためでもあります。そんななかレギーネの父エングストラン(ディオ・ブランドーの父みたいなイメージ)は、孤児院の土方で稼いだ金でスナックを始め、そこで娘に船乗りの相手をさせようと企む。幼い頃に二束三文でヘレーネ家に売られてきたレギーネは、父への恨みと不信感からそんな話には乗るまいと拒む。そこへやってきたのは落成式に参列するマンデルス牧師。やがて登場人物の入り組んだ関係がひもとかれるうちに、ヘレーネ家の呪われた血が、人間の業が、まるで幽霊のようにあらわれる──的なお話です。

テーマは今日的か


普段、近代演劇をまったく観ないので批評的な視座をまったく持ち合わせていない点、重々ご承知いただきつつ、それでも抱いたのは「この物語のテーマは今日的か、どうなのか」という問いでした。

なにせセリフは、古めかしく仰々しい近代文学の文体まんまなのに、舞台であるヘレーネ邸のリビングは現代的な、言うたらトレンディドラマのようなインテリアなのです。衣裳だって、冒頭に登場する大工のエングストランからして真っ黄色のダウンベストを羽織っています。もはやエングストランというより『ぶらり途中下車の旅』の阿藤快なのです。

これはいったい何を狙っているのでしょう。

舞台は現代に変われど、近代的な苦悩はそのまま有効だということでしょうか。それとも、舞台を現代に移し替えると、それらは昼ドラやケータイ小説ばりに陳腐化してしまったということでしょうか。個人的にぼくは後者だと受け取ったのですが、日本人じたいが近代的な自我を獲得したようで実は獲得しておらず、いまだ古い習わしや道徳、ムラ社会に捕らわれていると考えると、前者のように受け取る人もいるのかもしれません。わかりません。

ああ、でもあらためて考えると、登場人物はみな現代の誰か──例えば「道徳と不貞のあいだで揺らぐ人妻」や「うつを患った引きこもりニート」「田舎から飛び出したい少女」など──にあてはめられるように思えてきました。そういうことかな。そういうこと?

ともあれ、これが松岡さんは、初舞台かつ19世紀然としたセリフながらも、『桐島』ばりの愛嬌とふてぶてしさを巧み使い分け、レギーネを熱演されたと思います。あと、そうそう、演者の中では女中らしく古めかしい髪型だったので、それがかえって可愛かったです。なお、ぼくが観た回は4回目だったそうですが、すでにあまり緊張してなさそうでした(その日の昼の回は、ご家族が観に来られたので違った意味で緊張したとか)。まだ若いのに、末恐ろしいですな。

というわけで『幽霊』は3月30日まで公演しているので生・入間しおりをご覧になりたい方はお早めにどうぞ。

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